九谷焼について
九谷焼の歴史は、江戸時代前期の1655(明暦元)年ごろにさかのぼります。加賀の支藩だった大聖寺藩の初代藩主・前田利治(まえだ・としはる)が、領内の九谷(現在の石川県加賀市山中温泉九谷町)の金山で陶石が発見されたのに着目し、金山で錬金の役を務めていた後藤才次郎に命じて肥前有田で製陶を学ばせました。その技術を導入し、九谷に窯を築いたのが始まりとされています。
九谷の窯は1700年代の初頭に突然に、閉じられてしまいましたが、原因はいまだに定かではありません。この間に焼かれたものが後世、古九谷(こくたに)と呼ばれ、日本の色絵磁器の代表として独特の力強い様式美が高く評価されています。


青手芭蕉図鉢年代 17世紀サイズ 口径34.0/底径15.0/高7.3cm能美市九谷焼美術館 所蔵

多彩な作風
古九谷の廃窯から約百年後、加賀藩営で金沢に春日山(かすがやま)窯が開かれ、再興九谷の時代に入りました。春日山窯の木米(もくべい)風、古九谷の再興を目指した吉田屋窯、赤絵細描画の宮本屋窯、金襴手の永楽(えいらく)窯など数多くの窯が出現し、それぞれに素晴らしい画風を作り出してきました。
明治時代に入ってからは、斎田 道開(さいだ どうかい)、九谷 庄三(くたに しょうざ)らの活躍もあって、大量の九谷焼が海外へ輸出されました。今日の九谷焼は、各時代の窯の上絵付けの作風を源流に、以前にも増して活発な生産が続けられています。


赤絵花鳥文大皿年代 江戸後期サイズ 直径31.0/高6.0cm能美市九谷焼美術館 所蔵



赤絵福寿字入大深鉢年代 江戸後期サイズ 口径26.0/底12.0/高11.5cm能美市九谷焼美術館 所蔵



金襴手鳳凰文鉢年代 1823(文政6)~1896(明治29)年サイズ 口径18.8/底6.0/高9.2cm能美市九谷焼美術館 所蔵



赤絵細描竜鳳凰百老図深鉢年代 1796(寛政8)~1868(明治元)年サイズ 口径23.0/高10.0cm能美市九谷焼美術館 所蔵



龍花卉文農耕図盤年代 1877(明治10)年サイズ 幅59.0/36.3/高7.4cm能美市九谷焼美術館 所蔵

九谷焼の伝統的な画風
古九谷(こくたに)

木米(もくべえ)

吉田屋(よしだや)

飯田屋(いいだや)

永楽(えいらく)

庄三(しょうざ)

九谷焼ができるまで














上絵の工程

絵付け前の白磁に、絵具が付きやすくなるよう膠(にかわ)の水溶液を表面に塗布。

呉須(ごす・黒)により絵模様の輪郭を骨描き(こつがき・線描き)。

未発色の絵の具を骨描きの上にのせるように置いていく。

上絵窯により焼成され、絵の具も美しく発色し完成。